大判例

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大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)574号 判決 1977年11月30日

控訴人 三栄建材工業株式会社

右代表者代表取締役 岡本理男

右訴訟代理人弁護士 伊藤寿朗

被控訴人 国

右代表者法務大臣 瀬戸山三男

右指定代理人 大野敢

<ほか五名>

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し七一八、六〇〇円およびこれに対する昭和五〇年二月一三日から支払の済むまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決および仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張および立証の関係は、次のとおり附加、訂正するほか原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

(一)  原判決二枚目裏一二行目「一一月二三日」の次に「から二七日」を加入する。

(二)  同五枚目裏九行目「第八号証」の次に「、第九号証の一ないし五」を加入する。

(三)  次行「川田文雄」を「河田文雄」と訂正する。

(四)  同六枚目表七行目から一二行目を「(一)、請求原因中、(一)は不知、(二)のうち封書の内容は知らないがその余の事実は認める、(三)の(1)のうち控訴人主張の争議行為がその主張の遅配の原因となったことは否認するが、その余の事実は認める、(三)の(2)ないし(4)は不知、その余の事実は争う」と訂正する。

(五)  同葉表末行「帰因」を「起因」と訂正する。

(六)  同八枚裏八行目「第一六号証の一、二」の次に「、第一七ないし第二〇号証、第二一号証の一、二」を加入する。

理由

一  昭和四九年(以下特に記載しない限り、年度はすべて昭和四九年である)一一月二六日大阪商工信用金庫が大阪末吉橋郵便局において東京都葛飾区所在東栄信用金庫あての封書二通を提出し、五二四号および五二五号の簡易書留として引受けられたことならびに右郵便物が同月三〇日東京葛飾郵便局に到着したことは、いずれも当事者間に争いがなく、《証拠省略》を綜合すれば、到着の時刻は同日午後四時七分頃であったと認めることができる。そして、《証拠省略》を綜合すると、右郵便物は、次の理由により郵便に付せられたものであることが認められる。すなわち、控訴人は株式会社ウインから、その振出にかかる金額七一八、六〇〇円、満期一二月二日、支払地東京都中央区、支払場所東京信用金庫日本橋支店、振出地東京都港区、振出日白地の約束手形一通(本件手形)を受取り、八月五日これを大阪商工信用金庫で割引いた。なお控訴人は、従前から大阪商工信用金庫との間で、割引を受けた手形が不渡になった場合には、その理由の如何にかかわらず控訴人において買戻すべき旨の約款を含む信用金庫取引約定を結んでいた。大阪商工信用金庫は、割引いて取得した本件手形を、同金庫の東京における取立窓口である東栄信用金庫をして取立てさせるため、前記封書のいずれかに右手形を封入して前記郵便局に提出したものである(右手形の封入された封書を本件郵便物という)。

二  ところで、《証拠省略》を綜合すると、国鉄労組、国鉄動力車労組、全逓信労組の三組合は、同年、国鉄および郵便事業の合理化に反対して反合理化共闘委員会を結成し、当局側と交渉を続けていたが、組合側の主張を貫徹するため、全国的に分布する多数の拠点において、サボタージュを前置しつつ、一一月二七、二八日の終日ストライキを山場とする争議を計画、実行し、国鉄労組は二八日午前〇時一〇分、国鉄動力車労組は同日午前四時、全逓信労組は同日午後六時五〇分いずれも中止指令を発するまで争議を続行したほか、右中止指令後も、一二月三、四日にはインフレ手当一ヵ月分要求を中心に四八時間ストライキを行う気がまえを示しており、これらの争議に関するニュースは新聞紙等が日々これを国民に伝えていたことを認めることができる。そして、東京葛飾郵便局(葛飾局)についていえば、全逓信労組は同局を拠点として、一一月二三ないし二七日は大巾な能率ダウン(サボタージュ)、二八日は全面ストライキ、二九日にも能率ダウンをなしたことは、当事者間に争いがない。

三  前認定のように一一月三〇日夕刻には葛飾局に到着していた本件郵便物が葛飾局員により一二月五日に至って漸く受取人たる東栄信用金庫に配達されたことは、当事者間に争いがない。

四  ところで、《証拠省略》および東京信用金庫日本橋支店に対してした調査嘱託の結果ならびに証人岡本禎次郎の証言を綜合すると、本件郵便物に封入されていた本件手形は、東栄信用金庫における内部的な事務処理を経たうえ、一二月七日手形交換所で呈示されたが、呈示期間経過後の理由で不渡となったこと、支払場所である東京信用金庫日本橋支店における同日現在のウインの当座預金残高は、二五八、〇一四円であり、一二月一三日ウインは当座取引を解約し、翌一四日内整理に入り、同月二四日銀行取引停止処分を受けていること、その頃控訴人は、大阪商工信用金庫との前示取引約定に従い、本件手形を手形金額に満期後の利息を加えた代金を支払って買戻したが、ウインには既に支払能力がなく、そのため右代金額と同額の損害を被ったことが認められる。本件約束手形の満期は、前示のとおり一二月二日なのであるから、呈示期間の末日は同月四日であるところ、前掲調査嘱託の結果によれば、ウインの当座預金残高は、一二月二日三、五一〇、二三三円、同月三日二、〇四六、七五〇円、同月四日一、七七九、三七五円、同月五日二九四、九七四円、同月六日ないし九日二五八、〇一四円(なお一二月一〇日には、現金で一、四〇〇、〇〇〇円の入金があり、金額一、五〇〇、〇〇〇円の手形を落している)であることが認められるから、一二月四日までに呈示があれば、本件手形は支払われた筈であったといわなければならない。なお、《証拠省略》を綜合すると、一二月四日に本件手形を呈示するためには、東栄信用金庫の内部事務処理上、本件郵便物が同月二日に同金庫に配達されることが必要となるのであるが、それは同金庫における通常の手順を前提とした場合であって、同金庫において郵便物を開披した結果急いで呈示する必要のあることが判明したような場合には、郵便物配達の日の翌日にでも呈示が可能であること、したがって本件郵便物についていえば、これが一二月三日の営業時間内に東栄信用金庫に配達されていれば、本件手形は翌四日に呈示された筈であったことが認められる。

五  そこで、一二月三日に本件郵便物を東栄信用金庫に配達することが可能であったか、可能であったならば、それにもかかわらずそれが出来なかったのは何故かについて検討する。

(一)  成立に争いのない乙第一号証(結束表)に証人宮川守男の証言を綜合すると、結束表とは、郵便物の取集、配達、運送の接続関係を郵便局ごとに表にしたものであるが、葛飾局の当時の結束表によれば、下り四号便(本件郵便物は一に説示したとおり午後四時七分頃同局に到着したものと認められるのであるが、それはこの便によるのである)で到着した郵便物は、翌日の一号便、すなわち午前一〇時ないし一〇時三〇分頃同局を出発し、一〇時五五分頃完了する予定の便によって配達されることになる筈であることが認められるから、前記のとおり一一月三〇日下り四号便で葛飾局に到着した本件郵便物は、通常の事態においては一二月一日午前中に受取人側の受取の態勢が整っている限り(因に《証拠省略》によれば、同日は日曜日であるため東栄信用金庫においては書留郵便物を受領することが出来なかったことが認められる)配達が可能であったことになる。してみると、それから四八時間の余裕のある一二月三日の午前中までには、本件郵便物を東栄信用金庫に配達することは、特段の事情がないかぎり可能であったといわなければならない。

(二)  もっとも《証拠省略》によると、葛飾局の当時の結束表は、昭和四七年一〇月における同局の郵便物数、すなわち通常郵便物一日平均五六、二三二通、同書留郵便物一、三六三通等の数字を基礎として作成されたものであるところ、昭和四九年一一月における同局の通常郵便物は一日平均八〇、〇七〇通、書留郵便物は一、八四〇通であったことが認められるから、結束表の示すところよりは多少の遅延は免れ得なかったであろうと推察される。もともと結束表は公示せられているものではなく、郵便業務執行の内部基準であることは証人宮川守男の証言によって明らかであるが、同時に同証人の証言によれば、各郵便局の結束表と結束表とを連結して考察する等の操作によって得られるところの一地方から他地方への郵便物の到達予定日数は、標準日数表として全国の郵便局に掲示されているのであり、それによると、大阪市内から東京都内への通常郵便物は二、三日、書留郵便物の場合には更に一日を要するものとされていることが認められるのであって、そのような掲示に国民が信頼を置いて経済生活を営んでいることおよび郵政当局としては郵便物の増加に対処して職員の超過勤務やアルバイトの雇入れ等の方法があることに鑑みると、前記の程度の郵便物の増加があったからといって一二月三日の午前中に本件郵便物を東栄信用金庫に配達することができなかったとは認められない。

(三)  また《証拠省略》によると、東京都下における葛飾局と同規模の郵便局で前記争議の拠点とならなかった五局においても、当時最高四日半程度の配達の遅延を生じていたことが認められるけれども、争議の拠点とならなかったからといって、組合員によるいわゆる能率ダウンが行われなかったとは即断し難いから、右事実をもって直ちに前記判断を左右すべき証左とすることはできない。このような場合はストライキが行なわれていない時期における郵便物増加事例と対比するのでなければ有力な証拠とならないであろう。

(四)  なお《証拠省略》を綜合すると、一一月二〇日から一二月五日までの葛飾局の業務運行概況は別紙のとおりであって、郵政当局は争議による業務の停廃を避止するため、管理職による応援およびアルバイトの投入を行ったが(なお管理職の応援のうち勤務時間中のものは同表に記載されていない。また分数表示の分子は人数であり、分母は時間である)、力及ばずして前記遅配を発生せしめるに至ったことを認めることができる。してみると他にこのような遅配が生ずる原因についての主張立証のない本件においては、控訴人が被った前記損害は、前認定の全逓信労組の争議行為と因果関係を有するものと推認せざるを得ない。

六  控訴人は被控訴人職員による同盟罷業や怠業は、公共企業体等労働関係法により禁止されている不法行為であるから、これによる右損害については被控訴人が民法七一五条による責を負うべきであると主張する。

郵便事業は、被控訴人が公行政作用として運営する事業であり、前記争議に参加した葛飾局の局員その他の全逓信労組の組合員が被控訴人の職員であることはいうをまたないから、葛飾局々員の違法な争議行為によって郵便物が遅配され、それによって損害を被ったと主張する控訴人の本訴請求に対しては、民法七一五条に優先して国家賠償法一条の適用を論議すべきこととなる筋合である。そして、被控訴人の同法一条による責任については、民法以外の他の法律に別段の定めがあるときは、その定めるところによることとなるところ(同法五条)、郵便法六章(六八条ないし七五条)が、右にいう別段の定めに該ると解すべきである。けだし、右郵便法の定めは、郵便業務に関する被控訴人の賠償責任の制度の定めを中心とするものであって、郵便制度が大量の郵便物をできるだけ迅速に、またなるべく安い料金で送付することによって公共の福祉を増進しようとするものであること(同法一条参照)、および、同法六条がしかじかの場合に「限り」国が賠償責任を負う旨規定していることに鑑みると、郵便法六章の定めによる国の責任の制限は、その責任の発生原因につき、債務不履行責任と被用者の不法行為による責任との間に形式的な区別を設けていないものと解するのが相当であるからである。国家賠償法は、日本国憲法一七条に基き定められたものであるが、同条にいう「法律の定めるところにより」とは、法律により国民が国に対し公務員の不法行為を理由として国家賠償を求めうる限度および手続を定めることを許したものと解すべきであるから、国家賠償法と郵便法との関係についても、以上のように解して憲法に抵触することにはならない。そうであれば郵便物の差出人でもなく、またその承諾を得た受取人でもない控訴人が、被控訴人職員の争議行為による郵便物の遅配を原因として被控訴人に損害の賠償を求めることを許容する旨の規定は、郵便法上にこれを見出すことができないから、控訴人の右の請求はその余の点につき論ずるまでもなく許されないものと解するほかはない(郵便法は、速達の制度についてさえ、他の郵便物に対する優先取扱を保障するに止まり―郵便法六〇条―、一定期間内における配達までも保障していない)。因に郵便法六章の規定が、国の債務不履行責任と不法行為責任との間に形式的な区別を設けていないものと解すべきことは前示のとおりであるけれども、およそ例外のない法規範は存しないとの格言のとおり、責任制限の対象につき全く例外を許さない趣旨であると解すべきではないであろう。その解釈については、憲法一七条制定の趣旨は、十分に尊重されなければならない。しかしながら、前記認定の規模態様における被控訴人職員の争議行為と前記認定の内容の控訴人の損害との関係については、これをもって右のような意味における特別の例外の場合に当ると解すべき根拠に乏しいものといわなければならない。

七  してみると控訴人の請求を棄却した原判決はその結論において結局相当であるから、本件控訴を棄却することとし、民訴法八九条に則り主文のとおり判決する。

(裁判長判事 坂井芳雄 判事 乾達彦 山本矩夫)

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